君が好きだから僕は書く

恒松エントのブログとエッセイ

平野紫耀と永遠の宇宙/「ジャニーズ・フューチャー・ワールド from 帝劇 to 博多」観覧記

※「ジャニーズ・フューチャー・ワールド」は本記事執筆時点で、大阪にて公演中です。演出内容の一部に触れておりますので、内容を知りたくない方はお読みにならないことをお勧めします。

Earth, Wind and Fire(アースウィンドアンドファイアー)の「Fantasy(邦題:宇宙のファンタジー)」という曲をご存知ですか?1977年にリリースされ、かつて日本のディスコでも人気を誇った曲です(とは言え僕は当時3歳でしたが)。実はあのフォーリーブスも、北公次が日本語詞をつけてカバーしています。

この「Fantasy」、誤解を恐れず大雑把に言うと「私たちの理想のために、共に生きていこう、永遠に」ということを、宇宙船に乗って空に飛び立つことをモチーフにして歌った曲です。我々が「宇宙」という存在を非科学的な意味で用いるとき、「宇宙」は大抵「永遠」とか「無限」といった絶対的な存在を意味します。昨今の物理学では宇宙は終焉する説が存在するそうですが、宇宙という言葉が想起させるイメージは、「Fantasy」がリリースされた40年前から変わらないように思います。

宇宙とは永遠。宇宙とは絶対。

さて、「ジャニーズ・フューチャー・ワールド from 帝劇 to 博多」を観覧しました。ファンの間でも「トンチキ」の最たるものとして語られる、あの「ジャニーズ・ワールド」の地方公演版です。Mr.Kingの平野紫耀くんが、初の座長を務めたことでも話題になりました。僕にとって初めての「ジャニーズ・ワールド」が、博多座でのこの公演でした。過去の「ジャニーズ・ワールド」と比較して語ることはできませんが、「ジャニーズ・フューチャー・ワールド」を通じて、ジャニー喜多川の描く世界、そしてこの舞台の意味を僕なりに理解してみようと思います。

初めて「ジャニーズ・ワールド」を観た感想ですが、めまぐるしく展開されるエンターテイメントショーであったと同時に、まるで脳内の断片を観ているようでした。普通の舞台として考えたら理解に苦しむ点も多々あります。矛盾も不条理もそこかしこに存在します。しかし脳内に点在する、自らが美しいと思うもの、楽しいと思うものをスライドショー的に並べると、こういう舞台になるのかもしれません。歌、ダンス、アクロバット、フライング、バトン、太鼓、和装、笑い。ジャニーさんが美しいと思うもの、楽しいと思うものを、1つの舞台に可能な限り目一杯集約したもの、それが「ジャニーズ・ワールド」だと感じました。

おそらくジャニーさんは、言葉で語るよりも、舞台で具現化して魅せるほうが、自分の思考をより正確に表現できると考えているのでしょう。ジャニーさんにとって、舞台は彼の言語と言えます。と考えると、矛盾や不条理があったほうが、具現化された思考としては正しいのかもしれません。支離滅裂なシナリオ。突拍子もない展開。現実離れした世界観。そしてひらめき。脳内のそれらが、舞台の上なら成立してしまう。ジャニーさんにとって最も都合の良い表現手段、それが舞台であり、舞台上での刹那の美しさ、面白さ、その集合体がジャニー喜多川の世界なのでしょう。

そして、その脳内の世界を今最も忠実に表現できる一人が、座長の平野紫耀くんです。あらゆる技術を吸収する才能、整ったビジュアル、そして天性の歌声、ジャニー喜多川の世界を表現する者として、平野くんは申し分ない逸材です。ジャニー喜多川というプロデューサーにとって、平野紫耀は特別な存在である。憶測にすぎないとしても、その憶測は実に容易です。

そんな平野くんを、父と称するプロデューサーは、宇宙空間で「お前の未来を私にくれるな?」そう言って抱きしめます。エンターテイメントの世界で未来を生きる覚悟を問うのです。そして、頷き前を向く平野くんを地球に返し、父は宇宙という永遠で絶対的な場所から見守るのです。

平野紫耀というエンターテイナーが「ショウ」の未来を担うこと、その先に「ジャニーズ」の「フューチャー・ワールド」がある。この舞台でプロデューサー・ジャニー喜多川が訴えたかったのはそんな願いじゃないか、そう僕は思いました。平野紫耀と未来を誓いたい、そして宇宙という絶対領域から見守りたい。平野くんが座長として背負っていたのは、そんなジャニーさんの痛いほどの期待だったのかもしれません。

ところで冒頭の「Fantasy」の曲中に「And we will live together, until the twelfth of never」という歌詞があります。「until the twelfth of never」は直訳すると「来ることのない12時まで」という意味ですが、中世では11時の次は12時ではなく0時であり、つまり「12時」は永遠に来ない時間、これが転じて「永遠」と訳されるようです。存在しない「12時」を目指してかつて宇宙船が旅立ったように、存在しない「13月」を目指した若者たちもまた、理想をめざして宇宙を旅しているのでしょう。